週末のデッサン

それは日曜の良く晴れた午後で遅めの昼食を食べた後だった。
外ではセミが鳴いていた。9月に入ってからのセミの鳴き声は売れ残った水着のように人の気を引くが共感はできないそういった類のものだ。
僕は開け放たれた窓から見える景色をぼんやりとみていた。
窓から入る柔らかな風がカーテンを揺らしていた。僕はその揺らぎにゆっくりとしたある一定の動きを感じた。
それはまるで手招きをしているようだった。
そして見えない空気の粒に一つの流れを感じた。
何処へ向かっているのだろう?
そう思って感じた流れを追って視線を動かした。その先には彼女の横顔があった。
窓から差し込む光を受けて僕は彼女の横顔をじっと見つめた。

彼女の横顔はとても美しかった。それは余分な色彩を排除したデッサン画を思い出させた。
長いまつ毛と瞳の黒。同じ黒でも微妙に違っている。また美しい鼻の形が作り出す影と束ねた長い髪の黒。こちらもまた違っていた。
同じ色でもこれだけ違っているのだと改めて感じさせる黒だった。
彼女は一心不乱に何かを描いていた。彼女の顔が少し動くたびにその影も少しづつ移動する。そして動いた先でまた美しい黒が描き出していた。まるでモノクロの万華鏡のように。僕はその万華鏡に魅了され時間を忘れて魅入っていた。

静かな時間が流れた。
ただ彼女が鉛筆を動かす音とゆっくりとした風の動きだけがあった。
その心地よさにまどろみかけた時だった。

「できた。」
彼女が言った。
「何を描いていたの?」
僕は尋ねた。
「あなたよ。」
「僕?!」
僕は驚いた。まさか自分がかかれていようとは思いもよらなかったからだ。
「なぜ?」
「理由なんかないわよ。あなたの顔を観ていたら描きたくなったのよ。」
「見せてもらってもいいかな?」
「もちろん。」
彼女は少し微笑んで手渡した。

それは見事なデッサン画だった。
白と黒が織りなすモノクロの色彩が見事に対象を具体化していた。

「こんな顔をしている?」
「しているわよ。」
「鏡で見る顔と違うんだけど...」
「バカね、鏡は左右が反対に映っているからホントの顔じゃないのよ。」
言われてみれば確かにそうだったが、しかし左右が入れ替わっただけでこんなに印象が変わるのかと不思議に思った。

「君がこんなに絵が上手いなんて知らなかったよ。」
「デッサン画だけよ。色を付けると途端にダメな絵になるの。多分色彩感覚が悪いんだと思う。」
「そうかな、きっと君なら素晴らしい絵画が描けると思うけど。」
「ダメよ、昔からダメ。デッサンまでなら思う通りに描けるけどその先は全く自分の思い描いた通りにならないの。」

よく見ると彼女の絵はもう一枚あった。
それは僕の絵であったが、シワが多く髪も白髪が混じっているようだ。
「こっちは何?」
「それは20年後のあなた。」
僕は再び驚いた。
「20年後の僕ってこんな感じになるの?」
「そうよ。」
彼女は言った。
シワや白髪の数、または髪が乏しくなる、そんな不確定な要素が考えられるのに彼女は自信たっぷりに断言したのだ。

「何故わかるの?」
「私にはわかるの。あなたはきっとこういう顔になるわ。人生には越えなければいけないポイントがあると思うの。
鉄道のレールの切り替えポイントと同じよ。前に進むためには避けることはできないポイントなの。
例え避けたとしても結局また目の前に現れるのよ。
貴方はそれを一つ一つクリアしていく。時には時間がかかるけれど決して逃げずに愚直に対応するの。貴方はそういうタイプなのよ。そしてそれらがあなたの顔に残していく証がこれよ。」

彼女の言葉に僕は頷いた。
しかし実感は無かった。
自分がどんなタイプかなんで考えたこともなかったからだ。

「コーヒーでも飲む?インスタントだけど。」
彼女が言った。
「そうだね。頼むよ。」

彼女がコーヒーを入れる姿を見ながら、その人生のポイントについて考えていた。
僕の最初のポイントは何だったんだろう?
思い出すのは初体験の相手の女の子だった。その時僕は17歳で女の子も同い年だったと思う。
口数が少ない子だったがどこか大人びていた。
本当にその子が好きだったか今となっては自信はない。
それから何人かの女の子と寝た。僕が寝た女の子達は服を着ているときにはみんな違って見えたが、裸になると何処かよく似ていた。不思議な感じがした。
それから時を同じくしてハードロックにも夢中になった。
レッドツェッペリン・ディープパープル、ローリングストーンズ、ドアーズ、彼らの音楽をむさぼるように聞いていた。
スターだったジャニスジョップリン、ジミヘンドリックス、ジムモリソンは27歳で死んでいった。
それを知って自分も30歳を前に死ぬんだと本気で思っていた。
しかし30という年齢は実にあっさりと通過した。
開かないだろうと思っていたドアが近くまで来たらすっと開いた感じだ。
それからは見通しの良い真っ直ぐな道が続いていたように思う。
まるで線路のように。

32歳の僕はそんなふうにして人生のポイントを通過してきた。そして終着地点へ向かって走り続けている。
しかしそこは何処にあるのか、どんなものなのか、今はまだ良く分からない。
ひょっとしたら環状線になっていてゴールなど無いのかもしれない。あるいはまだまだ多数の切り替えポイントが待ち構えていて、思いもよらない方向へ向かって導かれて行くのかもしれない。

人生は列車の旅みたいなものだと誰かが言っていた。
行き先の分からない列車に乗っている旅みたいなものだろうか。

特有の音が響く車内で僕はシートに座っている。
隣では女の子が僕の肩に寄りかかり眠っている。
僕はそっと声をかける。
「ねえ起きてごらんよ。違った景色が見えてきたよ。」
女の子は目を覚ます。そしてその風景をしばらく見てこう言う。
「これがあなたが見たかったものなの?」
僕は少し考えて答える。
「どうかな。でも悪くはないだろう?」
女の子は嬉しそうに頷く。

そんなことを考えながら、20年後52歳になった時にまた似顔絵を描いてもらうのも良いかなと思った。
そう思って彼女を見た。
彼女は静かに笑っていた。
外ではセミが鳴いていた。

コメント